Eiko Komiya

嵐がさっていくように8月の暑さがさっていきました。

 私は季節の変わり目と共にいろいろなものが肩から降りた気がしました。 

私の大好きだった人が遠くへいきました。いい意味で遠くへ行ったので、もうその人を手放す事にしました。 

私のもう一人の大好きだった人と苦しい関係になりました。
大嫌いになりそうだったし、お互い大好きでいたいから、距離を置こうと決めました。 

 大切にしていたものを失くしてしまった感覚の日々が続いていて、でも、私を失った場所も人も、季節も時間も風景もそのままなんとなく動いていて、自分だけ取り残されたような日々が続きました。

まわりにいる人に打ち明けても、自分の中でちっとも納得していないことを話すので、もう周りも巻き込んでしまいそうな勢いでした。 

 時間が経ちました。
どんなに楽しいことをしていても、全てを忘れることなど一日もなかったし、その複雑な感情はずっと私のなかで爆弾のように膨らんでいました。 

よく泣いていました。
毎日泣く場所を探していました。
なぜか、電車にのると泣きたくなりました。
うつりゆく景色をみていると涙がでました。 

大切な人に、「また泣いたの?よく泣くね。」と言われました。
「よく泣くね。ダメだね。」と言うと、
「泣けばいいよ。たくさんね。」と 言われました。
そういわれて、また泣きました。
「泣かないで。」「元気出して。」 と良く言われていたから、
なんだか、私すら許していない事を この人は許してくれるんだなぁと思ったら ありがたくって泣けました。 

本当は、こっそり泣いてる自分が好きなんです。笑
でも、どこかで、私は一人で泣いてるんですよーーー! って言いたいときがありました。 みんな一人で泣くんです。きっと。

泣いた顔はぶちゃいくですからね。
私は、奇麗になんか泣きません。
口が横開きになっって、小さい子が泣くように泣きます。

 だから見せたくない。笑っていたい。 

メキシコの歌で泣きましょうみたいな歌がありました。
メキシコの歌は悲しい事を歌っていても、 音楽だけは明るい。 あるいはロマンティックです。 

泣くことも人生にとってはよくあることだし、それが人生だしね。 みたいな感じで、なんだかあったかい。 

泣いたらお腹すく方式なんで、美味しいご飯をたべたら元気がでました。 泣いたあとは食べますね、絶対。そうすると元気になる。

 意地はって、ムカついて繊細ぶってもお腹すくし、美味しい物が目の前にあれば元気でちゃうんです。 

神様は人間を複雑なようで単純に作ってくれて良かったなぁと、感謝します。 

何かを手放すと、それと引き換えに必ず大切なものを得る。

 今日は何をたべましょう?

とっても苦しい日々に追われていたこのごろ。 

環境もがらっと変わってしまって、いろいろな事が受け入れられないことが苦しくて、自分の軸がぶれていくのを感じ、イライラと苦しみの感情があふれでてしまったと思ったら水道管が壊れました。笑 

もう、今は何をしても意味がないんじゃないかというくらい、身体も心もつかれはっててしまって、大切な人たちとの関係もだめになってしまいそうになって、少しリセット期間に入る事にしました。 

週末の夜も、仕事を終えておとなしく帰って一人で映画をみて。

いらないものを全て捨ててみたりしたら、なんだかスッキリしてきて、自分が蓋をしていたことに対しても、なんとなく理解出来てきて。

オカンと慕っている友達と、多摩川で涼みながらビール飲んで、いろんな事話して、

「やさしさって、たまに自分を守ってるだけの弱さとなってしまってることもあるかもねぇ。」

とか、やっぱりお金ってないよりあった方が、何か始めるときに有利だね。とか、話したりして、結局はどうせお酒飲むなら次ぎやりたい事とか計画しちゃおうとか話して、結局、忙しくすてきな週末を過ごせたときに、もっと自分のためにせっかくある時間を使ってあげなくてはなぁ…と思わされました。

来年のヨーロッパ横断に向けて、お金をためなくてわ!

日刊ほぼ日トレイ 糸井重里さん

・「人生は一度しかないんだから、やろうと思ったらやんなきゃだめだよ」って、よく言われるし、言ったりもしますよね。そうだなぁ、「あれをやっておけばよかった」とか、年をとってからじゃ無理になっちゃうものな。「人生は短い」というのも、そうだなぁと思いますが、なんというか、そういうことって、言いやすいんです。「人生」って、かたちや重さのある「実体」がないから、語りやすいんですよね。 「人生」って、英語ではLIFEなんですが、これも、日本語の「人生」以上に、よく語られてます。そして、LIFEって、「生活」っていう訳語もあります。「人生」と「生活」は、同じことばで表されるんですね。これも、そういえばそうかもしれないと思います。 最近になって、LIFEのもうひとつの意味、「生命」ということばを思い出すようになりました。心臓をどくんどくんさせているようなイメージ。全身に血液を循環させている生身(なまみ)。そっちのほうは重みのある「実体」そのものなんです。じぶんの身体に手で触れたら、それはもう、いのちという意味でのLIFEがそこにあるわけです。 生きているいのちとしてのLIFEを重ね合わせて、「人生は一度しかない」ということを、「人生(いのち)は、ひとつしかない」と読みとることもできるんですよね。「やれるときに、やろうよ。いのちはひとつしかない」と、こころから思えたら、ものの見え方や、時間との関わり方がずいぶんちがってくるような気もします。 人生=生活(暮らし)=生命(いのち)。これが同じものだと、頭ではわかっていたはずなのに、ぼくは、ずいぶんと、うかうかしていたように思います。人生が一度しかないということは、つまり、いのちはひとつしかないということです。人生(つまり、生活、つまり、いのち)は、生き生きした実体そのものとして、ここにあるんだぞ。 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。休むのはいい。止まるのもいい。鼓動がありさえすればね。

大切に思っている人との関係が、なんとなくこの1ヶ月うまくいかず、何も話せないまま一方的にさよならを言われてしまいました。
失恋…とよぶのでしょうか?
でも、別れるときはなんらか一方的なシチュエーションの方が確かい多いかと。
心の整理がつかなくて、
泣いてみたり、
笑ってみたり
忘れてみたり、
振り乱してみたり、
酔っぱらってみたり、
常に誰かと一緒にいてみたり、
一人になって携帯ばかりみたり、
耐えられなくて相手に電話してみて
友達みたいに仲良く話たと思えば、
次の日はこの世に相手が存在しないので...

大切に思っている人との関係が、なんとなくこの1ヶ月うまくいかず、何も話せないまま一方的にさよならを言われてしまいました。

失恋…とよぶのでしょうか?

でも、別れるときはなんらか一方的なシチュエーションの方が確かい多いかと。

心の整理がつかなくて、

泣いてみたり、
笑ってみたり
忘れてみたり、
振り乱してみたり、
酔っぱらってみたり、
常に誰かと一緒にいてみたり、
一人になって携帯ばかりみたり、
耐えられなくて相手に電話してみて
友達みたいに仲良く話たと思えば、
次の日はこの世に相手が存在しないのではないかと思うくらい
離れてしまったり、
まだまだ傷が癒えていないのに
近づきすぎて後悔したり
近づいた事で、やっぱりその人が大好きだった事に
気がついたり。


いつも私の心の整理を手伝ってくれる大切な友人が
「きっとその人の中に自分をみたんじゃないかな?」
「結局は自分の鏡だからね。」
と言ったとき、ふと自分の気持ちに気がつきました。


私は彼の嫌な部分が、私も同じように持っている事を忘れていました。


私の素直に書きすぎる日記を読み直してみると、
ずーっとその人との関係に悩んでる自分がいて、
そんな自分がきっとたくさん漏れていて
しっくりこない態度をしていたんだろうと。
それを彼だって気がついていたと思うんです。

私はストレスと悩みを抱えているその人のそばで、ただ見ている事しかできなくて、それが私のストレスでした。
手を差し伸べても、手をはらわれて、自分が傷つく事が怖かった。
私はそばにいて、その人の話を真剣に聞いていましたが、どこかでその人をかわいそうな人だと上から目線で見つめていました。

自分だって同じなのに。


「自分が望む理想的な自分として何を言ってあげたらいいだろう?」

と思って言葉を探して、
キレイさっぱり前向きな回答をして、
自分で「良く出来ました」とハンコを押してたのかも。

でも、
人の心はもっともっと複雑で、そんな簡単な回答じゃすまされない。
相手の方が私よりも、もっともっとその辺は自分に素直だったかと。

他の誰かを演じようとして本当の私らしい私を見失ってしまっていました。
それにプラスして、すごく関係性の上で遠慮していました。

一人の時間を大事にしてなかったかなぁと。
朝ご飯ゆっくり食べたりとか、ヨガしたりとか、週3回くらいそんな時間が欲しかった。

自分としてぶつかってあげられなかった。その人と一緒にいる中で、自分も大事にしていない私が、彼を大事にするなんて、そんなこと出来るわけないなぁと。

いい勉強になりました!

そんな私を、本当いたくさんの人が慰めてくれて、
私は幸せものです 笑

失恋しても、
幸せなんて
なんて素敵な人生だろう!と。

生まれ変わっても、もう一度私でいたい…!
と最近思うんですよね。幸せだなぁ。

とりあえず、一回笑います!

写真は、一人で泣きにいった碑文谷公園にて。

My 34th birthday!


今日で34歳になりました。

お店を始めてから、ただひたすら突っ走ってきた(笑)ので
今からもっと、いろんな思いとか
ぽつっとシェア出来たらいいなぁと思って
誕生日という節目もあって
これからつらつら書いてみようかと。

私の大切な人が、
「生んでくれてたお父さんとお母さんに、本当にありがとうだよ。」
と言ってくれて、思わず泣いてしまいました。笑

人にそんな風に言ってもらえて、私は最高に幸せだなぁと。
オトンとオカンにも早く伝えたい。

私も声を大にして言いたい。
生んでくれて本当にありがとう!

34年前に、必死の思いで産んでくれて
大切に大切に育ててくれました。

まだまだ生かされてるのには、まだまだ使命があるのでしょう。
ゆっくりですが、その使命を果たして行けるように
毎日楽しくやっていこうと思います。

やっぱり、楽しくなきゃね。

先日泊まりにきてくれた、神戸に住む大切なお友達と
つきない話で、たくさんもりあがって

「苦しい事も、いやだなぁ…なんてこともいっぱいあるけど
結局は笑いに落としちゃう 笑 大事だね。」

私がメキシコに惹かれる理由もそこにあるはず。
深いのに、明るくって、やさしくてあったかい。

昨日は前夜祭で、お店のみんなで近くのイタリアンでお祝いしてもらいました。

営業中から、みんなそわそわしてて
若干いろいろ準備してくれてるモードをさっしたりして

「今日は、英子さん、本当に邪魔でした!」
と後で言われました 笑

グラッパ入りエスプレッソで完全にダウン…!
先に帰ってすいません。

でも、何歳になっても、祝ってもらえてうれしかったです。
みんな、ありがとう。大好きです。

出会えてよかった。本当に。
みんなも産まれてきてくれて、ありがとう。

今日のお仕事も盛り上がっていきたいと思います!